2015年10月7日水曜日

商人の鑑(かがみ)


ネットのニュースで知りました。


虎屋17代の休業あいさつ文、称賛相次ぐ




”虎屋 とらや”




和菓子の老舗    創業は室町時代 


社長は全国和菓子協会の会長 という  日本のトップ和菓子屋さん







拝見させていただきました。以下転載させていただきます




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十七代 黒川光博より 赤坂本店をご愛顧くださったみなさまへ

赤坂本店、および虎屋菓寮 赤坂本店は、10月7日をもって休業いたします。
室町時代後期に京都で創業し、御所御用を勤めてきた虎屋は、明 治2年(1869)、東京という全く新しい土地で仕事を始める決断をしました。赤坂の地に初めて店を構えたのは明治12年(1879)。明治28年 (1895)には現在東京工場がある地に移り、製造所と店舗を設けました。
昭和7年(1932)に青山通りで新築した店舗は城郭を 思わせるデザインでしたが、昭和39年(1964)、東京オリンピック開催に伴う道路拡張工事のため、斜向かいにあたる現在地へ移転いたしました。「行灯 (あんどん)」をビルのモチーフとし、それを灯すように建物全体をライトアップしていた時期もありました。周囲にはまだ高いビルが少なかった時代で、当時 大学生だった私は、赤坂の地にぽっと現れた大きな灯りに心をはずませたことを思い出します。
この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、多くの素晴らしい出逢いに恵まれました。
3日と空けずにご来店くださり、きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。
毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を1つお買い求めくださっていた、当時幼稚園生でいらしたお客様。ある時おひとりでお見えになったので、心配になった店員が外へ出てみると、お母さまがこっそり隠れて見守っていらっしゃったということもありました。
車椅子でご来店くださっていた、100歳になられる女性のお客様。入院生活に入られてからはご家族が生菓子や干菓子をお買い求めくださいました。お食事ができなくなられてからも、弊社の干菓子をくずしながらお召し上がりになったと伺っています。
このようにお客様とともに過ごさせて頂いた時間をここに書き尽くすことは到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、強く私たちの心に焼き付いています。
3年後にできる新しいビルは、ゆっくりお過ごしになる方、お急ぎの方、外国の方などあらゆるお客様にとって、さらにお使い頂きやすいものとなるよう考えています。
新たな店でもたくさんの方々との出逢いを楽しみにしつつ、これまでのご愛顧に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
虎屋17代
代表取締役社長 黒川光博

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足元にも及ばない 

同じ土俵ですらない・・・  とは思いますが






和菓子店をパリをはじめ全国に展開する大企業でありながら

社長が、ここまで顧客を見ていられる 






顧客重視の姿勢が有るから


それを実現する仕組みがある


素晴らしいに尽きる!!!








ブランドとは

他店より飛び切り美味しい羊羹を売っていることではなく

幾多の困難を乗り越えて、顧客を失わなかったその暖簾そのもの




こんな企業姿勢だから

17代も会社が存続し、繁栄し続けていられるに違いない



大企業だからブランドじゃない


有名な乳製品の会社とか、和食の一流店とか、大手電機メーカーとか

最近では、世界トップの自動車メーカーも危ない





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たった10人の会社でありながら

元気屋にそれが出来ているかと胸に手を当ててみると

そうでもない



会社の文化は

創業社長から脈々と継がれるものであり


この記事を読んで

規模ではない

まだまだである自分達を反省させられた





でも


未来は変えられるのだから

今から一つ一つ積み上げて行こうと思う




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昨日のボイスメール報告で



”子供がここの前を通る度に 「元気屋に行く! 」 と言うのだそうです ”


とお母さんの話の報告がありました。





本当にありがたい話です


これは、歴代社員と社長が作り上げた功績なのです。






これから歴史が積み重なって、それが文化となり


子供の世代が、

またその子供の世代が、

来店頂ける


そんな ブランド、 のれん を作りたい



気持ちだけは負けられない


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